円は本当に「安全通貨」なのか?関税ショックでも買われなかった日本円と、上昇するスイスフランの対照

2025年秋、世界の市場を揺るがせたのは“関税”でした。
米国が新興国製品への関税を大幅に引き上げ、中国やインド、ASEAN諸国が報復措置を検討したことで、世界貿易の減速懸念が一気に広がりました。株式市場は急落し、リスクオフムードが高まったのです。

本来であれば、こうした不安定な局面では**「安全通貨」**と呼ばれる日本円やスイスフランが買われるのが一般的です。
しかし今回は、円がむしろ売られ、スイスフラン(CHF)が上昇しました。

この現象は一時的なゆがみではなく、国際金融秩序の中で“安全通貨の座”が入れ替わりつつあることを示しているといえます。

「安全通貨」とは何か?投資家が信頼を寄せる条件

「安全通貨(Safe Haven Currency)」とは、地政学リスクや市場の混乱が高まった際に、投資家が資金を避難させるために買う通貨のことです。
安全通貨と呼ばれるためには、次のような条件を満たす必要があります。

  1. 政治・社会の安定性:急激な政策転換や内乱が起きにくいこと。
  2. 強固な金融システム:中央銀行と金融機関への信頼が厚いこと。
  3. 十分な流動性:世界の投資家が大量に取引できる市場規模を持つこと。
  4. 通貨価値の安定:インフレ率が低く、購買力が維持されていること。

かつての日本円はこのすべてを満たしていました。
1980年代から2010年代前半にかけて、リーマンショックや欧州債務危機、コロナショックなど、
世界的な危機が起きるたびに「円買い」が進むのが常だったのです。
それほどまでに、円は「世界の避難通貨」として信頼されていました。

なぜ今、円は買われなくなったのか?

2025年の「関税ショック」では、ドルだけでなく円も売られ、ドル円は一時148円台まで下落しました。
一方でスイスフランは対ドルや対ユーロで上昇し、避難通貨としての存在感を再び示しました。

この違いを生んだのは、円の構造的な変化です。
かつての「守りの通貨」から、「借りて使われる通貨」へ。
円の立ち位置は、この10年で大きく変わってしまいました。

超低金利が続きすぎた弊害

日本銀行は依然として実質ゼロ金利政策を続けており、世界で最も金利の低い通貨のひとつとなっています。
そのため、投資家にとって円は「安全な避難先」ではなく、“借りて売る”キャリートレードの原資として扱われているのが現実です。

アメリカの金利が4%台、欧州が3%台で推移するなか、投資家は円を売って高金利通貨を買うポジションを取りやすくなっています。

この構造が続く限り、リスクオフでも円が買い戻されにくく、**「安全通貨」ではなく「資金供給通貨」**という逆の性格が定着してしまったのです。

エネルギー高と貿易赤字構造

もうひとつの要因は、日本の貿易構造の変化です。
かつて日本は輸出立国として経常黒字を積み上げ、その裏付けが円の信頼を支えていました。

しかし近年は、製造拠点の海外移転やエネルギー輸入の増加によって、恒常的な貿易赤字国へと変わっています。

特に原油価格が上昇すると、輸入代金の支払いで円が売られ、リスク回避局面でも「原油高=円安」という逆転現象が起こりやすくなっているのです。

これは、かつての「不況=円高」とは全く異なる構図となっています。

財政リスクと日銀への信頼低下

日本の政府債務はGDPの260%を超え、主要国の中で最悪の水準にあります
これまでは低金利によって国債市場が安定していましたが、金利が上昇すれば、利払い負担が急速に膨らむことになるのです。

市場では「日銀は国債を買いすぎた」「出口戦略を取れない」といった懸念が強まり、“日本円=無限に発行される通貨”という印象が広がっています。
これが、かつての「信頼される円」というイメージを大きく損なっているのです。

スイスフランが買われる理由:信頼の“積み重ね”

一方でスイスフランは、今回の関税ショックでも堅調に推移しました。
その背景には、政策面と財政面の安定がはっきりとあります。

  1. スイス中銀(SNB)の迅速な政策対応
     スイスは2023年以降、段階的に利上げを実施し、インフレ抑制を最優先にしました。
     通貨価値を守るという姿勢を明確に打ち出したことで、市場の信頼を得ています。
  2. 財政健全性と対外黒字構造
     スイスは長年にわたり経常黒字を維持しており、財政赤字もほとんどありません。
     国家の信用度が極めて高いことが、通貨の強さを裏付けています。
  3. 国際的ブランドと中立性
     永世中立国として地政学リスクから距離を置くことができ、
     銀行業や資産管理の信頼性の高さが、危機時の資金流入を後押ししています。

こうした点から、スイスフランは**「政策・財政・ブランド」の三拍子が揃った信頼通貨**として、
投資家の資金を引きつけているのです。

円とフランの比較:構造データで見る“信頼力”の差

指標日本円(JPY)スイスフラン(CHF)
政策金利(2025年10月)約0.25%約1.50%
インフレ率約2.6%約1.2%
貿易収支赤字傾向黒字維持
経常収支黒字だが縮小安定した黒字
政府債務残高(GDP比)約260%約40%
通貨変動率(対USD)年初比▲6%年初比+4%
信頼指数(Bloomberg調査)低下傾向上昇傾向

スイスフランの強さは、単に金利が高いからではありません。
国家全体のバランスシートが健全で、長期的に信頼できるという点が最大の違いなのです。

関税ショックに見る「新時代の通貨選別」

今回の関税問題は、ドル安・株安という典型的なリスクオフ局面でした。
それにもかかわらず、投資家が選んだのは円ではなくスイスフランだったのです。
つまり、通貨の避難先が時代とともに変化しているといえます。

市場関係者の多くはこう考えています。

  • 「日銀は金利を上げられない」
  • 「エネルギー高で円の購買力が下がる」
  • 「スイスは物価も安定しており、通貨リスクが低い」

安全通貨の定義が「低金利・安定」から「信頼・政策余地」へと変わった今、円はその条件から外れつつあるといえるのです。

円は“条件付きの安全通貨”へ

今回の関税問題では、円ではなくスイスフランが安全通貨として評価された形でした。

とはいえ、円の地位が完全に失われたわけではありません。

日本は今も世界最大級の対外純資産国であり、世界的な金融危機など極端な事態が起これば、円買いが起こる可能性は十分にあります。

ただし、それは「最後の避難先」としての円であり、平時のリスク回避通貨としての地位はスイスフランに譲ったと言えるでしょう。

投資家への示唆:通貨の信頼は“政策で決まる”

円が再び「安全通貨」としての地位を取り戻すためには、単に市場の期待を裏切らない金融政策だけでなく、「金利を動かせる国である」という信認の回復と、**「財政健全化に向けた明確なロードマップ」**の2つが欠かせません。

この2点が揃わない限り、世界の投資家が再び円を“避難先”として買うことは難しい状況といえます。

日銀の金融政策の正常化

まず重要なのは、日本銀行が金融政策を正常化できる体制を示すことです。
長年続く超低金利政策は、確かに企業や家計の資金繰りを支えてきましたが、同時に「日本は金利を動かせない国」という印象を市場に与えてしまいました。

投資家にとって「金利を動かせない=政策余地がない=通貨の防御力が弱い」という構図が定着しており、これが円の“安全通貨としての魅力”を大きく損なっています。

たとえば、スイス中銀(SNB)は物価上昇時には利上げを実施し、為替の過度な上昇時には為替介入も辞さない姿勢を見せています。

一方で日銀は「物価2%目標」達成後も緩和を継続しており、市場からは「対応が遅い」「政策の柔軟性がない」と見られがちです。

したがって、日銀が段階的に金利を正常化し、インフレや為替に応じた**“予防的な金融政策”**を打ち出せば、投資家は「円も危機対応できる通貨」と再び評価し始めるでしょう。

金利の小幅な上昇でも、信頼の回復効果は非常に大きいと考えられます。

財政再建への明確な方針

もうひとつの柱は、財政健全化の明確な方針を示すことです。
日本政府の債務残高はGDP比で260%を超え、主要先進国で最悪の水準といえます。
このまま国債発行に依存した財政運営を続ければ、通貨への信頼そのものが揺らぎかねません。

海外投資家の多くは「日本は財政赤字を日銀の資金で補っている」と見ています。
つまり、国の信用力が中央銀行に依存している構造です。
このイメージを払拭するためには、財政支出の優先順位の見直し増税・歳出削減を含む長期的な再建ロードマップの提示が必要です。

また、日銀と政府が一体となって「出口戦略」を明確にすることも重要です。
例えば、国債の保有比率を段階的に減らし、市場機能を回復させる取り組みは、「円の持続的な信頼」を支える重要なステップになります。

スイスやドイツのように、財政規律を守る姿勢を明示できる国ほど、通貨が強い傾向があります。
日本も同様に「財政を立て直す意思」を国内外に示すことで、円の信頼回復への第一歩を踏み出せるでしょう。

日銀の出口戦略に関しては、こちらの記事もご覧ください。

日銀の“出口戦略”が始まった?金利・株価・円相場への波紋 – FX長期投資ラボ — 経済ニュースで育てる資産

市場が求める「行動の透明性」

最後に忘れてはならないのが、政策の透明性です。
金融政策も財政運営も、方針が不透明であれば市場はリスクを避けて他通貨へ資金を逃がします。

過去に日銀が予告なしで長期金利操作(YCC)を修正した際、市場は一時的に混乱し、円の信頼を損なう結果となりました。

つまり、円の信頼回復には「正しい政策」だけでなく、その政策を**“いつ、どのように行うのか”を市場と共有すること**が欠かせないということです。

将来展望

もし日本が、金融政策の柔軟化と財政再建を同時に進められれば、円は再び「有事に買われる通貨」としての地位を取り戻せるでしょう。
逆に、これらの課題を先送りにすれば、安全通貨の中心は今後もスイスフランやドルに移り続けると考えられます。

つまり、**“金利を動かす勇気”と“財政を立て直す覚悟”**こそが、これからの円の信頼を決める最大の要素なのです。

結論:円は「過去の安全通貨」、フランは「現代の安全通貨」

関税リスクという国際不安のなかで、日本円が買われずスイスフランが上昇した現象は、単なる一時的な為替変動ではなく、信頼構造の変化といえます。

かつて「有事の円買い」と呼ばれた時代は過去のものとなり、いまや市場は「有事のフラン買い」へと移行しました。

日本が再び世界の資金を引き寄せるためには、“安全”ではなく“信頼”を取り戻す政策転換が求められています。


関連記事

あわせて読みたい関連記事はこちら:


「円は本当に「安全通貨」なのか?関税ショックでも買われなかった日本円と、上昇するスイスフランの対照」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 高市政権の経済政策に市場はどう反応?財政拡張と円安リスクの行方

  2. ピンバック: 為替と株価の相関関係を徹底解説|なぜ円高になると株安になるのか?投資家が知るべき3つの理由 - FX長期投資ラボ — 経済ニュースで育てる資産

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール