こんにちは!イッセです!
今回は熊本城へ観光に行った時のお話を記事にしました。
熊本県自体、魅力的なものが多い県なのですが、やはり熊本の名所と言えば「熊本城」と「阿蘇山」が挙げられることでしょう。
そこでこの記事では、熊本城の魅力を余すことない伝えられればと思います!
熊本城の歴史
熊本城が作られたのは戦国時代末期にまで遡ります。
1591年頃、肥後の領主であった加藤清正が千葉城や隈本城のあった茶臼山一帯に城郭を築き始めました。
そして、1607年に熊本城完成、加藤清正が城主となります。
西南戦争の重要拠点
この熊本城ですが、教科書にも載ったほどの戦争で活躍した城でもあります。
その戦争とは1877年に起こった西郷隆盛らによる、西南戦争です。
明治維新における立役者の一人として有名な西郷隆盛ですが、朝鮮戦争に対するスタンスの違いから、新政権と敵対関係になりました。
そして、鹿児島に帰った西郷は弾圧を受けていた士族達に担がれて、新政権へ戦争を仕掛けます。
その時に新政府側の重要拠点として活躍した城こそ、この熊本城なのです。
熊本城に立てこもった新政府軍は、西郷軍約1万5千人相手におよそ50日間も凌ぎきり、北九州からの援軍を迎えて盛り返しました。
この出来事が、熊本城が名城と言われる所以の1つです。
熊本城観光
歴史的背景はさておき、駐車場から場内へと向かう途中には熊本城の天守が確認できます。
この見事な姿は、熊本震災から復興して間もないころに撮影しました。
天守の窓には、観光客の姿が見受けられます。
これからあそこまで登っていくのですね、楽しみです。
敷地内には外にも様々な展示物があります。
上の写真は、上記した西南戦争での火災により、瓦や城土が溶け固まったものだそうです。
展示されているのは発見されたものの中で最大級の遺物だそう、当時の凄惨さが察せられます。
うん、可愛い。
彦根城のひこにゃん以降、城のご当地キャラも増えましたよね。
熊本城をバックに記念撮影、家族連れでも楽しめそうです。
本丸御殿は、2つの石垣をまたぐように建っているため、地下通路がある珍しい立地となります。
写真ではライトアップされているため明るいですが、本来は昼でも暗いため『闇り通路』(くらがりつうろ)と呼ばれているそうですよ。
結構雰囲気ありますよね!
ライトを消した状態も、見てみたいものです。
本丸御殿の南東部分には大御台所があり、すぐ外には井戸が掘られていました。
結構、使い勝手が良かったそうですよ。
熊本城の石垣は『二様の石垣』と呼ばれ、緩やかな石垣に急な石垣が築き足されているそうです。
この石垣が、西郷軍1万5千人を跳ね除けたのですかね?
南西部分には『数寄屋丸』と呼ばれる茶会などが開かれていた建物がありました。
が、熊本地震で石垣が崩壊したそうです。
こっわ!(゚Д゚;)
天守からは、敷地内の絶景を見渡せます。
熊本の街並みもご覧の通り。
くまモン、目立つな(-_-;)
天守の西側には加藤清正の重臣、加藤平左衛門の屋敷がありました。
北西に唯一現存する五階櫓は、国の重要文化財に指定されています。
しかし、熊本地震で被害を受け、床や壁などが欠損、倒壊してしまいました。
自分が行った時には、写真のようにまで復元されていましたが、まだ周りで工事をしています。
一通り熊本城を楽しみ、お土産屋さんに立ち寄った所、なんとケロロ軍曹が!
ケロロ軍曹の作者、漫画家である吉崎観音(よしざきみね)さんが熊本出身だったのですね。
初めて知りました。
アニメの聖地でもあった熊本に是非とも行ってみよう!
これは帰ってから知ったことなのですが、熊本城以外にもケロロ軍曹のマンホールや動植物園・水の科学館にも像があるそうです。
ケロロ軍曹だけでなく、けものフレンズの聖地でもあるそうで、アニメ好きにも楽しめそうですね!
城自体にも見ごたえがありますし、九州観光の際には是非一度立ち寄ってみてはどうでしょうか!